って今日悟りました。自分が、ね、無神論者なんじゃないかなって。
倫理学の授業の後は、思考が進みます。凄く突っ込んで色々考えられるので、帰り道は若干ヤバい(笑
結構節操なく書こうかな。ぽんぽん浮かぶ思考だから、纏めた時に思い出せない。
これも帰り道思ったことを出来るだけ忠実にしたいと思うんだけど、無理でしょうね。
ちなみに、僕の記憶のためなのであしからず。
そもそも今日の倫理学は戦時の状況を構築するにはどうするか、だったわけだ。
結論としてはまぁ数年後ぐらいにもう一回大きい不況がきて、それを乗り切れるか乗り切れないかでどう転がるか決まる、というのが先生の論。僕もそれには賛成なわけだから、それを前提にね。
じゃあ、そうなった時僕はどうするのか、から今日の思考が始まったわけだ。
僕は怠惰で強欲だから、ね。
そもそも僕は何で今生きているのか。今は死ぬ努力より生きる努力の方がよっぽど楽なわけだ。
変な事をしようと思わずに、食べて寝ることだけを考えれば、現代日本はね。
特に親が生きていれば、親は生かそうとするんだから。それだけです。正直僕が生きているの。
ま、生きている以上欲はあるんだけど、それは後で書くから置いておいて。
死ぬ努力の方が生きる努力より楽になれば僕はきっと死ぬんだろうな。ということ。
死ぬのは嫌だとかね、思っていても仕方ないよ。僕は正直一番長く続いてる楽しみは学問なんだけど、溜めこんだ知識がいくらあっても死ねば終わり。死後の世界なんて無いわけだし、あったところで意味がないんだな。
結論から言うと、本来目に見えない物は存在していないんだっていうのが僕の持論なのね。
五感で捉えられる物は、確かにある。けどそれは「音」、「匂い」、「感触」、「味」っていう四つだけなわけだ。細かな分類は無いのね。
人間はそれに、例えばドの音だったらドだとかハだとかCだとか名前を付けてあたかもあるようにしただけ。
味も同じ。本来人間が感じる味なんて人それぞれの筈なのに、「甘味」とか「苦味」とか言葉で決めてるだけ。共同幻想なのね。
幻想、なんだよ。
人がそれぞれ感じてる味はその人だけのものってことは、社会的にはまったく「無い」んだよ。
言葉によって「ある」と思っているだけ。そこで、神が出てくるわけだ。
“神がいないのなら誰かが神を創らなければならない”。その通りなんだよ。
神はいないんだ。人間が「神」という言葉を創っただけ。ヨハネによる福音書には“はじめに言葉があった”って書いてあるけど、本当にその通りなんだよ。
言葉が、「神」なんだ。
神が存在するわけじゃない。
つまり、僕は無神論者なんだな。
ついでに目に見えない物は存在しないってことは、死後の世界や霊とか、考えるのはナンセンス。
もっと言えば人の心だってそうなんだよ。思想とか、それは確かに個々にとっては存在してるけど世界の中には存在しないんだよ。
とまぁ、こんな感じにしておこうかな。
ちなみに思想をこうやって形に起こせば、それは存在すると思うよ。それなりにね。
文字も一種の共同幻想だろうからさ。
実有って何処にあるんだろうねぇ。
[1回]
PR